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2014年1月3日金曜日

コミック版永遠の0を読んだ感想

ミルクパンです。

(´・∀・)あけましておめでとうございます。

最近話題の「永遠の0」、コミック版読みました。

今回の投稿、肥料コメ④の前置きで書いてたんですが、びっくりするぐらい長くなったので、もう分けました。笑

だからこの記事、ノースタホです。

スタホ専門の方は読み飛ばしでお願いします。


コミック版「永遠の0」、最初に感想を言わせて貰うならば、主観的に「良」でした。

基本、私にとっては戦争物の作品の多くがいまいちです。

反戦主義者だからではなく、現代つくられる戦争物の大部分が当時の価値観を無視して、「愛」だとか「恋愛」が中心にくるじゃないですか?

さらに酷いのになると、どこかの国みたいにどこかの国を貶めようとするような作品を作る。

だから、兵士の動機って「恋愛だけじゃないだろー」とか思うし、単純に敵国が悪になってしまう構図が、私のメディアリテラシーに引っかかるのです。

何か製作者の価値観やイデオロギーの押し付けがぷんぷん匂って来るんです。

フィクションやノンフィクションの見出しとかあんまり見ないし。気にしないし。

価値観が同じだとそういうの関係なく、史実だと思い込んでしまう。

だから戦争物は注意して見る必要があるという気がして、純粋に物語としては楽しむのに壁があります。

その点、坂井三郎の「大空のサムライ」などは妙な恋愛だとか、正義と悪の構図みたいなのがなくて良いと思うのです。

手記を淡々を語られて、当時の時代背景や価値観も良くわかります。


で、そんな私が読んだコミック版「永遠の0」。

概要は、

「最近やる気の無い弁護士資格浪人の主人公、この主人公には特攻で死んだ宮部久蔵という祖父がいた事が分った。ジャーナリストの姉が取材の為、この祖父の事を調べる事になり、主人公にも協力を依頼する。そして、取材を進める内に、意外な事実が判明してゆく。」

という内容でした。

読み始めるとすぐに、

「神風特攻隊はテロリストと同じ」

という話が出てきます。

私はコレを見て、「またかぁ」と思いました。この時は。

ありきたりの「自虐史観」だと思ったんじゃありません。

「自虐史観」は最近流行じゃないから、ここまで話題にならない。

つまり、この作品は主人公の「自虐史観が打ち消される話なんだろ」と思ったんです。

そっちが最近流行りだから。

まあ、自虐史観よりは良いと思うんですが、前述の通り、価値観の押し付けが・・・となるので、「またかぁ」と思ったんです。

それに、

「宮部久蔵は凄腕だが、臆病者でいつも妻の元に帰りたいと言っていた」

というまた愛とかその辺の話も出てきました。

映画のCMも「恋愛面」っぽいのを前面に出してますしね。

そのうんざり感がまるまる2巻続きましたが、3巻ぐらいから印象が変ってきました。

「案外、時代背景の描写はまともではないか?」と、

宮崎駿氏は、「嘘八百」だと批判されていたようですが。


続く4巻では、元海軍中尉のおじいさんに対して、新聞記者が、

「特攻隊員は洗脳されていた、遺書を読めば分る」

というわけです。

これにたいしておじいさんは、

「当時の手紙の多くは検閲があった、だから直接的な表現はせず行間に本心を書いたのだ。それは読む者が読めばわかるものだ」

と反論するわけです。

洗脳されていたわけでは無いと言いたいのだと思うのですが、これは変更した方が良さそうなうな表現ですね。

まるで全部「本当は死にたくない」と書かれていると受け取られかねない。

でも原作の百田尚樹氏の経歴から考えると、きっとそういう風に言いたいんじゃないと思うんですよね。

かと言って右派により過ぎも良くないし。

ここの書き方はもっと、こう、なんだろ、ああいう感じだと思うんです。

微妙で、繊細で、綱渡りのような表現が必要なので凡人には説明ムリ!

でもその他の時代背景やテロリズムとの違いなどの説明は良いと思いました。

それがわかってからは安心して、純粋に物語として楽しめる作品でした。

若干、愛だとかが食傷気味でしたが。

そういうの無いとやっぱりヒットはしませんかね。


しかし、「永遠の0」の中で出てきましたけど、アメリカ人って本当に特攻隊をテロリストと思ってるんですか?

映画「インディペンデンスデイ」での単機母艦突入とか、自己犠牲の表現っていっぱいあるじゃないですか、あれがテロリストですか?

むしろ自分達がヒーロー扱いしてんじゃんと言いたい。

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